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2020-04-16

自己紹介①です

2018年2月に書いた自己紹介文です。最近、フェイスブック経由でアクセスが多くなっているようなので再度アップしました。

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ヨガサークル・シャンティ松島の鈴木由美子と申します。震災の年にヨガインストラクターになろうと決意し、2012年3月からヨガの実践を始めた1967年生まれです。

家族は学年が一つ上で同じ未年の夫と大学4年生と大学1年生になる2人の娘がいます。どきどき娘たちに「ずうずうしい。」と注意を受けるのですが「三姉妹の長女です!」と自己紹介しています。2005年から始めたランニングは趣味が高じインストラクターになりジョギングやウォーキング指導もしております。

ここからパーソナリティが絡んだお話をします。私の人格形成に大きな影響を与えた出来事といえば小学1年の4月に父親を亡くしたことです。今でも忘れることはないですし、肉親を亡くした子供の存在を知ると自分の小さいころと重ねてしまうことがあります。画像の本は母の友人がプレゼントしてくれたもので今でも宝物になっています。この本と出会えたことで子供ながらも「苦しいのは自分だけじゃない!」と思えるようになりました。子供の頃のさみしい気持ちはこの2冊の本ですごく救われました。ちなみに内容は「戦争・貧困・差別」日本以外の国で厳しい経験をしている子供の存在を知れたことは衝撃的でした。

身体を動かすことも自分を元気にしてくれました。中学、高校は卓球部に所属し、県大会優勝、東北大会、全国大会、全日本選手権、インターハイ、国体などメジャーな大会に出場することができました。次なる目標は関東大学リーグでのプレイでしたが、志望校に落ちてしまい、地元大学の夜間部に入学しました。

憧れだった関東一部リーグでのプレイという夢に敗れ、練習にいっても気持ちが入らず、徐々にひきこもるようになりました。そんな時、慢性甲状腺炎という病気になってしまい大学も卓球も辞めようと決意しました。そんな時、同じグループ(大学のクラスのことをG=グループと呼んでいた。)の友人が「卓球は辞めても大学は辞めるなよー!」と言ってくれたことがずっと頭に残って、とりあえず大学は卒業しましたが卓球は辞めてしまいました。この件ではたくさんの方を傷つけ迷惑をかけてしまったことを深く反省しています。今となっては自我の強さが出てしまった出来事でしたが、辞めたことで弱い自分を受け入れることができた貴重な経験だったと思っています。

病気のなり始めのころは「このまま消えてしまいたい。」とか家の外に出ると人から責められているような気持になり、恐怖心が募りました。そんな中、友人たちはとにかく外に行こうと誘ってくれたんです。今となっては「生きていてほんとに良かった~」と思い出すことが良くあります😊

その後の就職活動はバブル期で誰もが一部上場企業に行ける時代でした。私は大手アパレルメーカーの総合職に就き、仕事漬けの日々を過ごしました。主に商品の受発注や納品、販売員さんの管理、売上管理、催事の応援販売など多岐に渡り出張も多くやりがいがありました。仕事が終わっても上司や取引先や販売員さんたちと連日お酒を飲みながらコミュニケーションを深めた記憶があります。丸3年働いたのち、趣味の旅行を仕事にするために派遣添乗員になりました。しかし収入が安定せず再び営業の世界に戻りました。

トータルで営業職を6年経験しました。営業の仕事を嫌う人もいますが同僚、先輩、上司、取引先からよく叱られ、鍛えられたおかげで経験値を上げることができました。その経験は今になって生かされていると感じることが多いです。

その後、時間の不規則な営業職から定時で終わる事務職を希望し、通信系の建設会社で営業事務を経験しました。時代はワープロからパソコンへ移行し、フロッピーディスクからパソコンへの書き換え作業を繰り返しました。おかげでタイピングが早くなり、今の仕事(記事やブログを書いたりなど)でも活用してます。

97年、実弟が結婚で家を出ることになり、一人暮らしをしていた私は実家に戻ることにしました。そして弟夫婦と同業だった夫と出会いました。

続きは略歴②に書き込みます

http://shanti-matsushima.com/2020/04/16/2-3/

独身の頃。休みを得れば国内外と旅行に出かけることが趣味でした。現在は年に一度のフルマラソンの遠征と高校野球の応援で旅しています。

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